どうしたら人は変わったって言える?
今日の結論
一瞬の変化を捕まえろ!
記事紹介
前から面白いなぁって思っていたブログがあったのですが、久しぶりに見てもやっぱり面白かったので軽くご紹介します。
日常のささいな場面を切り取って、小さな「発見」を巧みに表現してくれるこのブログ。
今回のテーマは、「学校の給食は『学校』の給食だからこそおいしいのか?」ということ。
大人になって学校の給食を再現したものが食べられるということで食べに行った友人は昔に比べて何かが違ったそう。
また、もう一つ別のエピソード。
「同じような商品を同じような雰囲気で客層も似ているのにどうしてうちの商品は売れないのか?」という相談を同じ日に受けたそう。
何かが違うはず。
そこで目を付けたのが『コンディション』と『タイミング』の問題ではないかと。
幼き頃に午前中から学び遊びお腹をペコペコにして食べる「給食」。
付近のお店で散々見て回った後に見る同じような「商品」。
『タイミング』によって『コンディション』は変化するし感覚も異なる。
感覚が異なれば自ずと行動も異なる。
言われてみれば当たり前ですが、非常に面白いし示唆に富んだ記事だったなぁと思いつい紹介してしまいました。
tiruの哲学タイム!
このことを哲学チックに考えてみると、
「この世に同じものなんて存在しないのではないか?」
と思うんですよね。
さっきの「給食」の話なんかとてもいい例だと思うんです。
確かに食べた友人は昔からその友人自身だったわけです。
しかし、小学生の頃と今の自分は明らかに違いますよね?
それは食べるその日の『コンディション』だけじゃなく、積み重ねた時の年月、考え方や感じ方も当然変化してるはずです。
さらに考えてみましょう。
では、
「いつ、どれくらい変われば昔の自分とは違うと言えるのでしょうか?」
食べれなかった野菜が食べれるようになったら?
つらい失恋を味わってから?
手の届かなかった学校の合格を勝ち取ってから?
どれも違うと思うんです。
では、いつ変わったと思うのか?
それは、やはり「一瞬一瞬」だろうと。
何か特別なことが起きなくても「常に」変わり続けているんですよね。
ただそれに気づかないだけだと思うんです。
これが何を意味するか?
それは「気づければ」いつでも「変われる」ってことだと思うんです。
まぁこれは良くも悪くもなんですが。笑
でもってそういうふとしたことに気づけるのも日常の積み重ねがあるからこそなんですよね。
だからこそ変化していないと思うような些細な日常も意味があるんです。
そうです。
無駄なことなんて何一つもない!
ただし、それはどう捉えるかって話になるんですが。笑
こういった時間は「一瞬という今」でしかないといったのがハイデガーですね。
興味深いと思った方はこの本などおすすめです。
ちなみに言語学でも文脈といったコンテスト(誰が、いつ、どこで、どのように)によって意味が異なるといった考え方があります。
それは言葉を発する「発信者」と受け取る「受信者」によってさらに異なります。
こうしたコミュニケーションの起点、出発点となるようなものを言語学では「オリゴ」と言います。
いろいろと面白い考えなのでいつか紹介できればと思います。
というわけで、もう一度今日の結論。
一瞬の変化を捕まえろ!
では!