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TureTiru Times

つれづれ「ちる」ままに日常や学問、ライフハックについて書き綴るブログ

よりよい情報との向き合い方

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分からないことがあったらまずは何をするでしょうか。

僕はまず、「検索」を主にします。

 

つい最近で検索したことと言えば、カール・ポラニーの著作『大転換』についてです。

経済史の授業で取り上げられたのですが、その著者も著作もよく知らなかったため授業で取り上げられた以上にもっと知りたいなと思ったため検索しました。

 

そうするとまずは当然ながら、「Wikipedia」が検索上位にあったのですが、その次にこんなブログに出会いました。

 

カール・ポランニー『大転換』 - 日本式論

 

見てもらえれば分かるのですが、ブログ作者がこの著作の要旨をそれぞれの項目ごとに要約された内容が書かれています。

 

これを読むことによって本当に大筋のですが、内容を知ることができますし、このブログ作者の私見も知ることができます。

 

その他にも検索をすれば、大筋の内容を知ることができるものが大量に溢れかえっています。

 

ネットの情報と如何に向き合うべきなのか?

 

r25.yahoo.co.jp

 

ちょうどこのような記事を見かけました。

 

こういった課題をこなすのに当たり能力をアウトソーシングして利用することに反対なのは僕も同意見です。

 

「『他人が考えたことをあたかも自分が考えたことかのように』レポートを作成した場合,多くの教員はそれを不正行為と認定します」

 

しかし、この発言からもう少し踏み込んで考えてみたいことがあります。

 

どこまでが「他人」が考えたことで、どこまでが「自分」が考えたことなのでしょうか?

「ヤフー知恵袋」や「Wikipedia」を利用したからといってこれが基準になるのでしょうか?

 

こういったことに関する「基準」は明確にできるものでもなく、かなり曖昧なもののような気がします。

 

もちろん、だからこそ引用をきちんとして他者との違いを明確にするということが行う必要があるわけで、回答者もその点に関して指摘してはいるのですが‥

 

つまり、何が言いたいかというと「自分」と「他者」における思考すらも完全に遮断できるものではないということです。

 

ネットで得た二次的、三次的な情報も基をたどれば一次的な情報を基にしているはずです。

 

しかし、その一次的な情報というものも誰が得たかによって、またどのように発信したかによって、どう足掻いてもバイアスがかかります。

 

それをよく認識するべきなんじゃないかと思うわけです。

 

情報というものはネットであれ、本であれ、その人自身の思考であれ、どうしても認識の差が生まれます。

 

それは言語的な問題かもしれないし、文化的なもの、歴史的なもの、政治的なもの、経済的なもの…あらゆる要素が絡んでくる問題と言えるのではないでしょうか。

 

今回の「ヤフー知恵袋」における回答者の意見を否定したいわけではありません。

 

ただ、今一度情報というものを自分自身がどのように捉えているのか、発信しているのかということをよく考えてみるきっかけになるのではないかと思い今回、この記事を書きました。

 

冒頭のブログ記事を見つけた際も、その内容はもしかして間違っているかもしれない、もっと言うと全てが正しいわけではないという前提のもと、それでも自分よりはより正しい情報や経験があるという態度で望むのがよりベターだと考えています。

 

そういった意味で、世の中のあらゆる入門書であったりするものは凡そ間違いがあると言ってもいいでしょう。

実際、元の本ですら、古典的名著であれ全てが正しいわけではないはずです。

 

当然と言えば当然ですが。笑

 

しかし、このブログで繰り返し主張していることですが、

「分からないことを分かる」

ことが「教養」の第一歩なのです!

 

最後まで読んでくださった方、ありがとうございました!

 

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