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TureTiru Times

つれづれ「ちる」ままに日常や学問、ライフハックについて書き綴るブログ

「宗教」と「哲学」と「私」

考察
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「宗教」を乗り越えろ?

 

宗教的な考え方が好きではありませんでした。

 

かなり漠然とした言い方ですが、宗教そのものというよりも宗教「的な」ものがです。

 

なぜ好きではないかと言うと、

一種の「思考停止」がそこに起こりうるからです。

 

 下の記事に、「思考停止」がなぜいけないと思うのかを書きました。

 

 

「深淵」を覗くということ

 

そうした宗教的なものを概念を生み出す「哲学」の力で払いのけていくことができる。

そこに、本当の意味での「人間」としてのあり方が見えてくるのではないか。

そう思っていたのです。

 

しかし、思った以上に宗教的なものというのは根強く人間に根付いたものだということに気づいてきました。

いや、薄っすらと感じてはいたのですが、どこか認めたくなかっただけなのかもしれません。

 

私の場合であれば「哲学」が、いわゆる宗教的なものに対する抵抗への武器であり、ステレオタイプ的な価値観から解放され、できるだけ「多角的な視野」で物事を見ることができるものだったのです。

 

そして、それは「人間性」的なものを知ることができる一つの有効な手段だと思っていました。

 

だから、この考え方は「面白い」と思いました。

こうした考え方をもっと多くの人がするようになったら世の中はより良く変わるのではないかと期待したのです。

しかし、少なくとも自分がこれまで生きてきた中でこうした考え方をする人は少なかったというかほとんどいなかったわけです。

近しい考え方はしていても、それは哲学を学んでいるだけで哲学はしてはいないという印象を持つ人も多かったのです。

 

そういったわけで、こうした情報などを発信してみようと思ったわけです。

 

しかし、ここに「宗教」は潜んでいました。

 

ここでの事例では、宗教的なものから離れるために哲学は有効であり、だからこそ伝えていこうとしたわけです。

その行為は布教行為と何が違うのでしょうか?

 

常々そうならないために、つまり「思考停止」にならないために表現には気を使ってきたし、「自分の頭で考えて選ぶことが大切だ」と言ってきたわけですが、

そのような内容でもそれを伝え変わってほしいという「祈り」が込められている時点で「宣教」的な行為であり宗教的なものでした。

 

これは言い換えると、個人的な思想のようなものであっても、いわゆる常識と呼ばれるようなものであっても、そこに「信じる」何かがあるなら一種の宗教的なものになってしまうということなのではと考えたのです。

 

ですから、例え「神は死んだ」と言ったニーチェもそういった意味で宗教を乗り越えることはできなかったのかもしれません。

どこかでそのような文章を読んだのですが、その時はそれがどのようなことなのか理解できませんでした。

 

結局のところ、「何を信じるのか」というものの見方が存在しているだけなのかもしれません。

 

そういった意味で、個人の人生哲学なるものから一般化するような哲学に至るまで(ニーチェやハイデガーも)宗教的な要素を持ってしまっているということなのかもしれないと思い始めました。

 

宗教と言っても、布教を推し進める過激派とただそう信じ説く穏健派がいますしね。

 

確かに、宗教と哲学は異なるものです。

しかし、上記したようなことや歴史的なことを鑑みるとやはり宗教と哲学は切っても切り離すことができないものだとより考えるようになってきました。

 

かつてニーチェが言った

「怪物と闘う者は、その過程で自らが怪物と化さぬよう心せよ。おまえが長く深淵を覗くならば、深淵もまた等しくおまえを見返すのだ。」

『善悪の彼岸』

 

という言葉はまだ文脈の中では読んでおらず、断片的なものでしか知り得ていないのですが、これもまた最初出会った時はよく分かりませんでしたが、そういった逆説的なパラドックスを言い得ているのではないかという解釈をするようになりました。

 

こうした発見は私にとってアイデンティティ・クライシスとして重くのしかかりかけました。

 

しかし、結局のところ宗教とは一体なんなのでしょうか?

私は宗教が好きではなかったので、だからこそ宗教を学ばなくてはと考えてはいたのですが、なかなか手を付けずにいました。

 

宗教を学ぶ。

ついにその時がきたのかもしれません。笑

 

もうすでに読み始めていますが、それほど落ち込むほどのものでもなかったのかもしれないと既に開き直りつつあります。笑

 

しかし、そういった宗教的なものは思っていた以上に身近に潜んでいるということを「知った」のではなく「分かった」ということは私にとって大きな収穫だったかもしれません。

 

皆さんは何を信じ、何を疑っていますか?

 

最後まで読んで下さった方、ありがとうございました!

 

 

善悪の彼岸 (岩波文庫)

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